思い出ぽろぽろ【超長文注意】

長い大学生活で、ずっとずっとお世話になっていた先生が
ご逝去されました。

私の、芸大の母。

お通夜、告別式と参列させていただき
同期と先輩方と、お清めとして遅いお昼をいただきながら
(泣いたらお腹空いちゃった〜、と言い合うあたりが我らがA門下笑)
先生のお話をたーくさんしたあとで、
ひとりで寄り道。

悲しいけれど記憶ってだんだん薄くなっていってしまうから、
思い出を、思い出したままに書き留めておこうかと。
備忘録。

(追記:
先生との個人的な思い出を公開することについて、
いろいろお思いになる向きもあろうかと思いますし
ご興味ない方もいらっしゃるかもしれません。
でもすみません、これは私のわがままで公開の形で掲載しておこうと思います。)


先生との出会いは大学一年生のとき。
初めてのレッスンで
「私あなたのことよく知らないから、自己紹介してくださる?」
と優しく仰って下さり。
当時のレッスン室はまだ、3号館の小さいお部屋だった。

学部1年生の学年末の歌の試験で緊張のあまり歌詞を間違え、すっかりしょげていた日の夕方、校内で先生にお目にかかり、歌詞を間違えました、すみませんと申し上げると「あら、そうだった?気づかなかったわよ、大丈夫よ」と仰ってくださったこと、
2年生になりリートを勉強したいけど何から始めたらいいですかと申し上げたらブラームスからやったら?と仰り、いつかのレッスンであなたの声はナタリー・シュトゥッツマンにちょっと似てるわね(決して、決して自慢ではない、単に声が篭っていただけなのでは笑)と仰られたのでシュトゥッツマンのCDをすぐ買ったこと、
大学構内に落ちてる銀杏をビニール袋にわりとたくさん、素手で拾われて「いいおつまみになるのよ、なんで誰も拾わないのかしら」とあっけらかんとおっしゃったこと、
その昔、東京都美術館横の道端で行商のおばちゃんが売ってた手作りの草もちを買っていらして、美味しいのよと私たち生徒にもくださってご一緒にいただき、確かに美味しかったこと、
レッスン終わって大学の裏、桃林堂の奥にあった焼肉屋さんでお食事したこと(そういえば先生の御宅のちかくのファミレスでもお食事ご一緒したことあったなぁ)、
軽井沢の別荘へお泊まりさせていただいてレッスンしていただき遊びにも連れてっていただき、お夕食の時にお猪口のお酒をいただく姿をご主人様に「お酒好きだね、唇がお猪口を迎えにいっちゃってるよ」と言われ、先生も笑って聞いていらっしゃったこと、
その軽井沢行きは確か、第九のオーディションに受かったあとで、ちはるさんもいよいよね、これからよね…!と仰っていただいた…
地元の師匠がバッハをはじめ宗教曲を素晴らしくお歌いになっていたのを真似したくてバッハの四大宗教曲(マタイ、ヨハネ、クリオラ、ロ短調)のアリアをレッスンに持って行き(当時学部3年生くらい、はっきり言って超無謀・・・笑)、アリアは練習していったけどレチは全然見てなくて「勉強するなら一緒にセットで勉強しなきゃダメよ」と仰られたこと、
勉強会での緊張、先輩が素敵にお歌いになった曲を真似したくてレッスンに持っていったり、
芸祭最終日にこっそりレッスン室で一晩寝させてもらって、さっきまでレッスン室の床に転がってました、という着替えず顔も洗わずの状態で学校にいらした先生にばったり廊下でお会いして目が合わせられなかったこと(今も昔も、本当はそんなのダメだと思いますが…10年以上前のことですから時効ということで)
レッスンが終わって大学から上野駅まで、またご自宅から最寄りの駅まで、などお車に乗せていただいた時の豪快な(笑)先生の運転、
毎年のクラス顔合わせでは密やかかつ熾烈なレッスン時間確保の戦いがあり、そしてかならず「語学はしっかり勉強してください」と先生が仰られたこと、博士過程に入って以降は年度頭には研究計画書にサインをいただかなくてはならず、ぼぼ白紙の計画書にサインをさせられた先生は「これにサインをと言うんですか」とちらりと厳しく仰りつつもサインしてくださったこと、
レッスンはいつも後ろへ後ろへとのびるので、自分の時間にお部屋に入ると自分の二人前のレッスンがいま始まった、とかはザラで、もう一度練習室にもどって頃合いを見計らってお部屋へ行ったり、
前のひとのレッスンが終わるのを後ろで聴きながら待っていたら「あーもうだめ。お腹が空きすぎて手が震えるわ、ちはるさん何か買ってきてくれない?」と仰って、おつかいに行ったこと(しかもそういうことは何度もあった)
レッスン室にはいつもお菓子があって(前述のようなことがあるので食料は重要なのである笑)お茶のポットのお水も何度も足したし、お茶の時間もよくあったし(その時間があることで延びに延びてるレッスンの時間調整にもなった)、
そう言えば退官記念パーティの際の先生からのプレゼントは先生が大好きだったショコラティエ・エリカのマシュマロとクルミのたくさんはいったミルクチョコレートだった。
入学してはじめての新歓が南青山のフレンチビュッフェで田舎の高校生だった私はびびったこと、その後は上野の花のれんや鳥良での新歓や追いコンで素敵な先輩方が美味しくお酒を召し上がる姿がかっこよく、先生も楽しそうに召し上がっていたこと、
A先生クラス最後の追いコンで、結婚式にいらしていただきたいと申し上げると嬉しそうにしてくださり、ピアニストの先生と「二人で行きましょうね…!」とニコニコしてくださったこと、

レッスンなのに全然!まったく勉強していかなくて、当然だがぜーんぜん歌えなくて、それなのに厳しいことはまったく仰らないので、かえって泣きそうなほど申し訳なく胸が潰れそうに苦しかったこと、
歌えなくて悔しくて、先生の仰ることをすっと受けられない自分が悔しくて、先生は何もおっしゃらないのだけど(そのかわり同じ所を何度も何度も歌わせて曲の1ページ目からちっとも先に進まない)、勝手に泣いて、そうすると「あら、私なにかひどいこと言ったかしら」と仰るので「いえ、言ってません」といいつつ涙が止まらなかったり(そういうことは何度もあった)、何しろ「あきらめないひと」だった。「もうすこし、あとすこしでうまく声が出そうだ、と思ってしまうのよね」と生徒の声を生徒以上に探してくださった。「もう一回やってみて」「んーもう一回歌ってみましょうか」と何度も仰ってくださった。
4年生のときは院試や学内のレッスンのために、当時の伴奏の先生の逗子の御宅まで合わせに伺ったこと、4年生の1年間というのは前期試験、院試、学内演奏会、卒試と大きな試験が何度もあるのだが「いつも同じ曲じゃつまらないじゃない」と仰っていろんな曲をそれぞれに用意したこと、
無事院試が終わったある日、レッスン帰りに上野駅までの道すがら、オペラ科適性審査を受けるか迷って…やっぱりソロ科にしようかと…どう思われますか、と先生にお話ししたら「そうね…あなたにはリートを歌って欲しいわ」とおっしゃられたので、では!と心が決まったこと。

院に入ってからは「歌曲集を取り上げる時は有名な曲だけやらないで全曲やりなさい、まとまったレパートリーを作りなさい」と仰って院生の勉強会をさせてくださって、シューマンのLiederkreis Op.39や女の愛と生涯やバーバーの歌曲など歌い、ツィクルスをまるごと歌う、という大変だけど面白い道にはまっていった。

院生勉強会の際にはよく、先生お手製のチラシを作ってくださった。鉛筆を削る、とかラベル作り、とか細かい作業がお好きだった。小さく、かわいらしいもの、スワロフスキーのようなガラスの動物やリヤドロの柔らかいフォルムのお人形など、ご自宅にも学校のお部屋にもかわいいものがあふれていた。
そして何よりスヌーピーがお好きだった。世界でもっとも有名なビーグル犬であるスヌーピー。よくよく読むと実は深いあの漫画。先生がスヌーピーのことを「犬のくせにねぇ・・・ふふ」とぽつりと仰ったのを聞いたことがある。(ただの犬なのに世界的に有名で、人生のペーソスをわかっているのよね)という意味だと思う。
ご自宅には生徒さんたちのご結婚報告や事あるごとのお写真も所狭しと飾られていた。ご家族思いの方でもいらっしゃった。ご自宅の下駄箱の片隅に、息子さんがかつて履いていた小さな小さなお靴を大事に取っておいてらした。捨てられなくってね・・・と仰って。
そしてお孫さん・・・先生がお辛かったとき、孫娘ちゃんたちの存在がどれほど先生にお力を与えたことか。

今はなき(笑)「芸大ゾリステン」という院生のグループでうたシリーズに出させていただいて、先生や他の先生にもレッスンを受けたこと、
院の3年生になる前の修士リサイタルでベルクの七つの初期の歌を歌った時に「これね…!」と仰って修演はワーグナーとリストがいいわ!と決めてくださったこと、そこから始まった「A先生クラスといえば盛りだくさんなプログラム」といわれるほどの、あれもこれも歌ってしまったいくつかの演奏会(おかげでかなり鍛えられた)、
ウィーンから一時帰国した時に12月だったのでVanillekipfern(三日月型のほろほろクッキー)を手作りで持参してご挨拶に伺ったところ、召し上がって「いつでもお嫁に行けますね」とおっしゃってくださったこと(帰国している間にゆっくりお食事でもしましょうね、と仰っていただいたのに結局できなかったことが悔やまれる…あのときいろんなお話をしていたらまた何か変わっていたのかな…)
勉強会や博士リサイタルの際には先生自ら「今日はありがとうございます、それではこれからはじめまーす」とお客様にご挨拶してくださり、休憩のところでは「それではここで休憩です」とまたまた自らおっしゃってくださり、
私のはじめての博士リサイタルの時には、私はI先生の元で勉強させていただいていたので(ソプラノである先生が突如「あなたI先生のところで勉強していらっしゃい、メゾなんだから」と学内留学?させてくださった)、
本番前、また本番中の休憩の時もお声かけに楽屋(1ホール手前の小さいお部屋を楽屋にしてた)にわざわざいらしてくださり、「いい感じよ」と励まして下さり、
きっと躾の行き届いてない娘をよそのお家に預けた母のような、心配な、それでいて「この子この経験でどう変わるかしら」とワクワクするお気持ちで見守っていてくださったのだろうと…
先生は私がI先生のところにいる間、ご自分からは一度も「どう?(うまくいってる?)」とお尋ねにはならなかったと思う。少なくとも私には。
そしてリサイタル終わったあとでA先生からI先生に御礼を申し上げたいからと両巨匠とピアノの先生と私とで池之端のホテルのレストランで、おそらく人生最高に緊張しそしてとても幸せなお食事をいただいたこと、あのときのお話、ものすごく美味しい赤ワインの味、帰りにふわふわ酔っ払って上野駅まで結局歩いて行ったこと、あの夜の空気の感じ。
とあるコンクールを受けて本選のあと、「うーん…良かったと思うわよ…」とおっしゃってくださったこと、
どんなコンクールでもオーディションでも決して身内贔屓せず上手な人は評価しダメなものは門下生であっても「今日はよくなかったわ」と仰り・・・コンクールという場であろうとも、いい演奏に夢中になってそれ以外のことはお考えの外だったのではないかと(笑)
生徒を信頼し、しっかりとご自分の信じる音楽を伝えている、いいものはいいのだから、という自負もおありになったのではないか。
私たち歌曲を勉強していた者には、「小さい会場でもいいから、年に一回はリサイタルをやりなさい」と仰っていた。研究熱心な先生だから…と思っていたけれど、それだけでなく、ご自身がコツコツと取り組んでいた幅広いレパートリーでのリサイタルをとある先生がお聴きになり、ご自分の後にと大学へ推挙くださった、というご経験から、「私はここにいます」と広く知ってもらうという意味でも活動し続けることが大切、と思われていたらしい、と門下の大先輩からお聞きした。

先生にいただいた、私自身では到底思いもつかない素晴らしい選曲の妙…ベルク、ワーグナー、ブラームスやシューマンの曲の数々、高田三郎「パリ旅情」、中田喜直「海四章」、(余談だがずーっとまえにとある演奏会で聴かせていただいた中田喜直「歌をください」は素晴らしかったなぁ・・・泣けた。そしてレッスンもしていただいた)、グリーク、ヴォルフのスペイン歌曲集の宗教的歌曲、ホルストの「静かな朝」、先生がお好きだったシュトラウスのMeinem Kindeやレーガーの「マリアの子守唄」、最後にチャレンジしたコンクールでは「あなたにはシューベルトを歌ってほしいわ」と仰って選んでくださったAbendstern…
シューベルトのNachtstück(夜中に、人生の終わりが近いことを悟っている老人を、夜が優しく包み込む…というような内容の歌曲)を歌った時には
「いいと思うんだけどねぇ、なにか違うのよね…きっとちはるさんは幸せなひとなのね」とおっしゃったこと(そしてなんとも悔しかった)…

留学から帰ってきたときのこと、そしてシュトラウスのナクソス島のアリアドネの作曲家のアリアを聴いていただいた時のこと(いま思えばあの頃がご病気の最初のころだったのだ)、
コンクールと結婚と論文と…私が不器用なのをご存知な先生は「コンクールは今じゃないんじゃない」とおっしゃったこと、
先生のお口添えで魔笛の童子でオペラのお仕事場を勉強させていただいたこと、オケで第九とドヴォルザークのレクイエムとシューマンのレクイエムを歌う機会をいただき、ドヴォルザークのときにはご一緒した同門のソプラノさんと一緒にレッスンしていただいたこと、
論文の誤字脱字を探して下さり夜中にメール、朝からお電話くださったこと…
夜中は自分の時間、寝るのがもったいなくて、と仰る先生だった。

とても楽しく、笑って泣いて、この門下の一員になれたことがとてもとても幸せだと思えた退官記念パーティ、
結婚式で「夫婦長持ちの秘訣は、まずはなるべくお食事は一緒にとること」とご挨拶いただいたこと(ものすごーくお忙しい先生だったのにそのことを実践なさっていたことに頭が下がる)…

最後にレッスンしていただいたのは7月、
はじめたばかりのフランス歌曲、フォーレを見ていただいた。
ドイツ語とフランス語、同じ発音記号で表す音でも、ちょっと違うということ、
生真面目な何も知らない若ーいお嬢さんではなくなってから取り組むフランス歌曲は自由が利いて流れがあって今の私にはとてもよい勉強になりそうだと感じたこと、
11月に、先生に聴いていただきたいからご自宅最寄のホールで計画していた演奏会を、先生も楽しみにしていてくださったこと、
そのときにも門下のいろんな友人たちの話をしたこと、

お盆明けに「9月にレッスン伺いたいのです」とメールでお願いし、ヘングレが終わったら伺うことにしていたのになぁ。


いつもいつも
先生の温かいお心とお優しい眼差しに見守られていたこと。
調子がいいときも悪いときも、発声に迷ったときも、毎回同じことを注意されてそれが苦しかったときも、演連コンサートを無事終えられたあとで、「これで一人前ですね」とおっしゃってくださったときも

いつも同じように温かく、さらりとしていて、目が輝いていらして、微笑みを湛えていらして

あれ、私うたえる…!

って魔法をかけてくださった先生。
レッスンを受ける私の方が何十歳も若いのに、私の数十倍、情熱的で、若々しくて、みずみずしい音楽を示して下さった先生。
お美しく上品な舞台姿。
お歌はいつも、どこもひとつも押し付けがましくなく、誇らず、ふんわりと広がって温かかった。

そしていつも
次はなにを勉強しますか?と
私が新しい曲にチャレンジするのを期待していてくださり、きっぱりとした否定はなさらずどんな時も見守ってくださったこと。

だめだ。
どこまで書いても思い出が尽きない。
きっと、先生と関わりのあった方それぞれに、ここに書いたよりもっともっといろんな思い出が
たくさんたくさんおありだろうと思います。


ありがとうございました。
これからも、「先生ならどうお感じになるかしら」と思いつつ、励むことになると思います。
これからは、誰のどんな演奏会でも聴きにいらしてくださいますよね。


さ。
いつまでも泣いてると、先生に
「いつまでも泣いてても仕方ないじゃない!
勉強してくださ〜い」
って、いつもの、あの感じで仰られそうな気がするので。


明日はヘングレ通し稽古!
先生がおっしゃったように「きっとちはるさんは幸せなひとなのね」というふうに私の歌が聞こえるなら、
思いっきり幸せに歌いたい。
きっとそれが本当の、私を生かす道なのだと思う。
先生の、音楽に対する審美眼…と言っていいのかしら、
それは確かに本物だから。
[PR]

by takahashi_chiharu | 2013-09-07 16:42 | 日々のこと | Comments(0)